小野澤宏時氏が思い描くラグビーとデュアルキャリア

競技レベルのスポーツ界でも、デュアルキャリアという考え方が注目されています。とても大ざっぱな表現をしてしまえば『引退してからでは遅い。アスリートとしてのキャリアを積みながら、別のキャリアについても並行して準備していこう』というものです。
ジャパンラグビー トップリーグでも、こうしたデュアルキャリアについての取り組みは必要と位置づけていますが、そのまさに象徴としての存在が小野澤宏時さんです。
トップリーグ創設前からサントリーでウイングとして活躍、日本代表でもワールドカップ3大会に出場し、キャップ81を持つ小野澤宏時さん。ラグビーのキャリアを積むかたわら、以前から大学にも籍を置き、教えること・普及に携わっていきたいという小野澤さんがいま見据える、ご自身の、ラグビーの、そしてスポーツの未来とは?

サントリー、そしてキヤノンでプレー。日本代表キャップ81。2017年3月でトップリーグ選手としてのキャリアを終えた

2017年4月以降の肩書を問われると、小野澤宏時は三つの答えを用意した。
「大学の講師ですかね……いやでも、学生でいいかもしれない。選手も、もしかしたら入るかもしれません」

三つの肩書を使い分けるのは、17年からではない。日本ラグビー界の最前線を走るアスリートでありながら、小野澤は社会人としてのキャリア形成にも力を注いできた。
「2000年にサントリーに入社して、入社4年目の03年に契約形態を変えられることになったんですね。それまでは社員でしたから、朝9時に出社して17時まで勤務し、それから練習をしていました。それが嘱託社員になると準プロの扱いで、自分の時間が増える。その時間を使って大学へ通い、保健体育の教員免許を取りました。サントリー入社前に通っていた中央大学は文学部だったので、必要な単位をすべて取り直しました」

教員免許の取得は、僥倖とも言うべき出会いに導かれたものである。
「静岡聖光学院中学校からラグビーを始めたんですが、静岡県はラグビーのレベルが高くなく、僕らの部活動は週3回でした。そんな学校へ、サントリー在籍時に日本代表に選ばれた葛西祥文さんが赴任してきたんです。僕が中学2年のときでした。ラグビーは企業スポーツですから、日本代表を担った方が中学や高校で教えることは少ない。これはもう、とても大きな出会いでした」

小野澤は葛西に惹かれていく。日本代表を経験したラガーマンだから、というだけではない。学校の先生としては例外的な生徒との接しかたが、少年の気持ちを前のめりにしたのだった。
「葛西先生は、『先生と呼ばないでほしい』って言ったんです。『たまたま僕のほうが長く生きているだけ、長くラグビーをやっているだけだから、葛西さんでいい』と。それは僕にとって、中学生ではなくひとりの人間として扱ってもらえた初めての経験というか……国を代表するレベルへ到達すると、葛西先生のような人間になれるのかなと思って、自分が日本代表に選ばれたときに、葛西さんと同じことのできる権利を得たんだと。日本代表という国内トップレベルを見たからこそ、若い子たちに伝えられるものがあるんじゃないか、自分の経験を還元していこうと。そのために教員免許を取ろう、と思ったんです』

「ラグビーワールドカップ2011」ニュージーランド大会での小野澤氏(2011年9月10日、 vs フランス代表戦、撮影/長岡洋幸)

「ラグビーワールドカップ2011」ニュージーランド大会での小野澤氏(2011年9月10日、 vs フランス代表戦、撮影/長岡洋幸)

少年時代の思いをきっかけとした学びは、小野澤の知的好奇心を刺激していく。教員免許の取得はデュアルキャリアのゴールとはならず、彼は筑波大学大学院へ進学するのである。
「スポーツマネジメントを学びましたが、自分はお金の扱いは苦手なんだ、興味を抱けないタイプなんだ、ということに気づきました。それよりも、若い子たちへの教えかたに興味があるなあと考えていたときに、日本体育大学の伊藤雅充准教授に出会うことができました。伊藤先生のもとで学んでみたくて、日本体育大学の修士課程に入学しました。今年の4月からは、博士課程が始まります」

日本体育大学では、ラグビーの方法論や指導論を学んでいるのではない。ルールの変更などが促すラグビーのトレンドにアンテナを巡らせつつ、より広い視野でスポーツをとらえている。
「学びは学習者を中心とする考えかたから、選手や学生にどうやってアプローチするのかを学んでいます。僕が葛西先生に出会ったような巡り合わせを少しでも増やせるように、ひとつの学校に属するのではなく広い視野に立ちたい、というのはありますね。タグラグビーが小学校の指導要領のカリキュラムに入っているのであれば、それをうまく使えるようにプログラムの改善をしていきたい。僕ひとりでタグラグビーを教えるとしたら、1日1校回っても1年で365校です。そうではなくて、学校の先生たちが使いやすいものにすれば、学校教育とラグビーの普及がリンクしていくのではないか、と」

スポーツの成長は、トップレベルの「強化」とすそ野を広げる「普及」が両輪となる。ラグビーワールドカップに3度も出場し、歴代2位の代表キャップ数を持つ小野澤なら、強化の最前線に立つことも可能だろう。2014年には日本代表のスポットコーチに就任したこともあるが、彼自身の気持ちは強化よりも普及へ引き寄せられているようだ。

「普及というほどの大義は掲げていないのですが、競技のピラミッドのトップが上がれば底辺が広がる世の中でもない、と思うんです。底辺の充実というほどかっちりしたものではなく、楽しい環境を提供したいと思います。ラグビーは良く分からないけど、タグラグビーとかタッチフットって楽しいね、というようなきっかけの環境を提供したいなあって」

総合型スポーツクラブが地域に根差しているヨーロッパでは、スポーツとの向き合いかたが日本と異なる。幼少期から一つの種目に絞り込まずに、複数の競技に取り組みながら才能を掘り起こしていく。小野澤が思い描くのも、ラグビーをきっかけとした奥行きのあるスポーツ文化だ。
「ラグビーボールを運ぶスキルに、特殊性はない。手渡しで運んでいくので、極論すればペットボトルでもラグビーはできます。サッカー、バスケットボール、ハンドボールといったゴール型と言われるボールゲームに共通する動きの肝を、ラグビーで身に付けられるんじゃないかと思うんです」

すでに2年前から、教育の現場に立っている。静岡産業大学で、一般教養の体育の授業を受け持っているのだ。トップリーガーの肩書を下ろしたこの4月からは、同じ静岡県の常葉大学でも体育の非常勤講師を務めることになっている。

トップリーグ通算100トライを2012年10月27日に達成(10シーズン目での達成)。その後、通算記録は109に。(他に通算100トライ達成はパナソニック ワイルドナイツの北川智規選手のみ。2016年12月4日達成)

トップリーグ通算100トライを2012年10月27日に達成(10シーズン目での達成)。その後、通算記録は109に。(他に通算100トライ達成はパナソニック ワイルドナイツの北川智規選手のみ。2016年12月4日達成)

現役当時から学校へ通う小野澤は、チームメイトや友人から「大変じゃないですか?」と聞かれることがあった。そのたびに彼は、笑顔を浮かべながら首を横に振った。
「全然大変じゃないですし、欲張って生きたほうがいいと、思っています。たとえば、午前中にウエイトトレーニングを1時間半やって、午後はグラウンドで2時間練習をしたとします。そのあとさらに、パーソナルトレーナーと一緒にリカバリーを1時間半しても、合計で5時間です。睡眠時間を8時間とっても、残りは11時間もある。その11時間はひたすら身体を休めることに費やして、ラグビーのプレーが100になるならそれでもいいけれど、僕は欲張った時間の使いかたをしたほうがいいと考えてきました」

トップリーグの平均年齢は、29・5歳と言われている。大卒入社の選手たちが、7、8年で現役を終えるのが一般的ということだ。
「毎年5人ぐらいの新入社員が、どのチームにも入ってきます。1チームを40人と考えれば、8年で一回りするわけですよね。その間に、どれだけ欲張るか……僕の入社当時とは違って、いまはシーズン中なら社員選手でも12時で仕事が終わります。午後からは練習だけという日もあるなかで、もっと欲張れるんじゃないかなあとは感じますね。選手一人ひとりに「昨日は何をしていた?」なんて聞きませんので、実際にどんな時間の使い方をしているのかは分かりませんが……」

小野澤は姿勢で示すタイプだ。「こうしたほうがいい」とアドバイスをするよりも、「自分もああなりたいな」といった気づきを提供したいと願う。
「僕が欲張って楽しそうにしていれば、『何やってるんですか?』って聞かれる。それが環境作りかなあって。『何もやっていないの? それはもったいないぞ』と指摘するのは、僕が求めるコーチングではない。僕自身は欲張らないと面白くないと考えていて、欲張ってやっていったことが貯金になるというか、個人としての商品価値を高めると思っていました。いろんなことを経験して人間としての貯金が増えれば、選手としてもきっと面白くなる。それが価値につながり、長くできるかもしれない、と」

小野澤が言う「欲張り」とは、「情熱」や「熱意」に置き換えられるのかもしれない。物質的な富に対する欲望ではなく、ひたむきで真っ直ぐな向上心が行動原理となっているからだ。
38歳の漲る情熱は、新たな機会を呼び込むことにもつながっている。トップリーガーとしてのキャリアは幕を閉じたものの、楕円球を追いかける日々はまだ終わらない。

「2018年に国体を開催する福井県から、特別強化指定選手兼コーチとしてどうだ、という話をいただきまして。キヤノンとの契約が3月末で満了して、トップリーグのクラブからのオファーがないので、トップリーガーではなくなりそうですが、それをもって現役を終えるわけではないんです」(注)
講師として、学生として、プレーヤーとして、小野澤は2017年以降も「欲張った」時間を過ごしていく。気負いも力みもないデュアルキャリアの中心には、やはりラグビーがある。

「2019年のワールドカップ開催というお祭りのあとが、僕個人としては怖いんですね。トップリーグや日本代表での経験を企業に埋もれさせるのではなく、次世代へつなげていくのが課題だと、勝手に感じているんです。僕が勝手に感じていることなので、勝手にどうにかしたいと思っていて、いまは色々な世界を見に出かけているところなんです」

譲れない願いを抱きしめて、小野澤は心の地図を広げていく。

(注)インタビュー後、福井県の件が決定。国体で
「小野澤選手」の雄姿が見られるかもしれません。

インタビュアーはサッカーを中心に取材・執筆を行うスポーツライターの戸塚 啓氏。著書に『低予算でもなぜ強い? 湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)など

インタビュアーはサッカーを中心に取材・執筆を行うスポーツライターの戸塚 啓氏。著書に『低予算でもなぜ強い? 湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地』(光文社新書)など

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